特集

2023.02.13

今を現す日本刀を作る 日本玄承社

 「日本刀」と聞いて、何をイメージするだろうか。おそらく、映画や時代劇でよく描かれる「武器」としての姿だろう。現代の日本における生活では馴染みはなく、多くの人にとっては実物を見る機会も珍しい。そのためか、一般的にはあまり知られていないのが日本刀の持つ「精神性」の側面だ。1000年以上も昔の日本刀が、手入れされながら人から人へ受け継がれてきて数百万本も現代に残っていることは、それを心の拠り所とし、家族やその結束を守るため御守りとして大切にされてきた何よりの証拠である。

 日本刀の歴史は、古墳時代に鉄加工の技術が中国大陸から伝来し刀剣が作られたことを起源とする。もともとは権威の象徴として作られていた刀剣は、平安時代に入り本格的に武器として作られ始め、「日本刀」としての姿を確立した。時代によって移ろう戦闘スタイルや美意識を、その姿と機能性に反映しながら進化した。






日本玄承社 代表 刀鍛冶職人 黒本知輝さん。<br />
大切にしている師匠の言葉「格好良ければなんでもいい。美しく、切れる刀は格好良いんだ」
日本玄承社 代表 刀鍛冶職人 黒本知輝さん。
大切にしている師匠の言葉「格好良ければなんでもいい。美しく、切れる刀は格好良いんだ」






 現在は、武器ではなく「美術工芸品」としての作刀のみが認められている。照明に照らされた日本刀は、荘厳ながら艶やかな表情で、観る者を圧倒する。「現在の日本刀製作は、歴史を重んじる傾向があり、特に鎌倉時代のスタイルの日本刀を目指し作刀する刀鍛冶が多いです。でも日本刀の本質は本来、『その時代を現すもの』であることなんです」と話すのは、日本刀鍛錬道場 株式会社日本玄承社の代表で刀鍛冶職人の黒本知輝さん。日本を代表する刀鍛冶職人吉原義人氏(後述)を師としてともに仰いでいる若き刀鍛冶職人の山副公輔さん、宮城朋幸さんとともに東京で同社を設立(2019年)し、2021年には京丹後へ拠点を移し事業を開始した。以来、3人で日本刀を製作している。






「玉つぶし」日本刀の材料である玉鋼を打って伸ばし、硬くする。
「玉つぶし」日本刀の材料である玉鋼を打って伸ばし、硬くする。





求める強度を出すためには、適した温度である必要がある。炉の温度は炭と鋼の色を目で見て判断する。
求める強度を出すためには、適した温度である必要がある。炉の温度は炭と鋼の色を目で見て判断する。





刀鍛冶職人 宮城朋幸さん。大切にしている師匠の言葉「常に考えて工夫して、新しい方法を見つけなさい。それを私に教えてくれ」
刀鍛冶職人 宮城朋幸さん。大切にしている師匠の言葉「常に考えて工夫して、新しい方法を見つけなさい。それを私に教えてくれ」






刀鍛冶職人への道、仲間との出会い


 黒本さん、山副さん、宮城さんの3人が出会ったのは、東京都葛飾区の日本刀鍛錬道場への弟子入りがきっかけだ。そこは有数の無鑑査刀匠である刀鍛冶 吉原義人氏が作刀する、歴史と伝統ある道場。週5日、作刀を習いに通い、休日は生活費を得るためにアルバイトに費やす。決して楽ではない生活をそれぞれ6〜8年間続けた。刀鍛冶職人として独立するためには、最低5年間は刀匠資格を有する師匠のもとで修業し、試験に合格する必要があるのだ。

 彼らが師匠から教わり共有していたのは作刀技術のみではなく、その根底となる考え方や心得、姿勢といった精神的なものも多かった。「師匠はことある毎に、『自分で考えてやりなさい。見て真似するだけでは面白くない』と口酸っぱく私たちに言いました。新しさやオリジナリティを重要視する、柔軟で先進的な考えの師匠です」と宮城さん。数少ない若手世代の3人は、修練の日々の中に散りばめられた師匠の言葉や刀鍛冶職人としての生き様を目で見て感じながら、理想の作刀や自分たちの将来について語り合った。「自分たちが生きる今の時代を現す日本刀を目指したい。そしてそれを後世にも残したい」。それを実現すべく、3人は共に独立することを決めた。






左が材料の玉鋼(たたら製鉄より仕入れる)、右が玉つぶしをした後に水で急冷する「焼入れ」をして硬くなった鋼。
左が材料の玉鋼(たたら製鉄より仕入れる)、右が玉つぶしをした後に水で急冷する「焼入れ」をして硬くなった鋼。





数々の鍛冶道具の火箸等は全て彼らの手作りだ。「使い易い工場を作りたかったですし、何より刀鍛冶の道具を今作っている人がいなくて、自分たちの手で作るしかないんです」
数々の鍛冶道具の火箸等は全て彼らの手作りだ。「使い易い工場を作りたかったですし、何より刀鍛冶の道具を今作っている人がいなくて、自分たちの手で作るしかないんです」






精神性を重んじ、今を現す日本刀をつくる


 3人が独立の拠点に選んだのは京丹後市丹後町。すぐそばには竹野川が流れ田んぼが広がり、自然の中、穏やかな時間が流れる。実は、拠点としている建物はもともと山副さんの父の実家であり、子どもの頃に度々訪れていた。当初は関東で鍛冶場の拠点を探していたが、候補に挙がった京丹後へ来たときに、丹後における日本刀の出土や製鉄の歴史、人との出会いから縁を感じ、そこからはトントン拍子で事が決まった。拠点について、「鍛錬は暗い工場で炭を燃やしながら行います。特に夏は工場の扉を開けた時に広がる景色と入ってくる風が気持ちよくて、この場所をとても気に入っています」と3人は声を揃える。

 そんな彼らが目指すのは、「今を現す日本刀」。日本刀の機能美(折れず、曲がらず、よく切れる)を追求するのと同時に、自分たちが生きる今の時代に求められ、京丹後だからこそできる表現を模索している。「京丹後の海の波形や波音、日々移り変わる山々の姿を刃紋に表現したり、丹後の織物を外装に施したりもしてみたいです」と、黒本さん。

 また、作刀において最も重要な要素は「感覚」であると話す。どの工程においても明確に数値化された基準やマニュアルは無い。日々の作刀の中で、ひとつひとつの動きや判断に意識を絶やさずに感覚を磨く。日本玄承社の日本刀には、今後も続いていく彼ら自身の変化や成長も刻まれている。






 刀鍛冶職人 山副公輔さん。<br />
大切な師匠の言葉「審美眼を身につけなさい。良いものがわからないと、悪いものがわからない」
刀鍛冶職人 山副公輔さん。
大切な師匠の言葉「審美眼を身につけなさい。良いものがわからないと、悪いものがわからない」





 「土置き」 焼入れ前に、刃紋をデザインして特別に配合した粘土を塗った状態。赤い方に粘土が厚く塗られていて、薄い方との焼入れの冷却速度の違いで刃紋が生まれる。完成のイメージを持って、粘土を置いていく。
「土置き」 焼入れ前に、刃紋をデザインして特別に配合した粘土を塗った状態。赤い方に粘土が厚く塗られていて、薄い方との焼入れの冷却速度の違いで刃紋が生まれる。完成のイメージを持って、粘土を置いていく。





ふるさと納税で日本刀をオーダーメイド


 京丹後市のふるさと納税では、日本玄承社による「オーダーメイドの日本刀(太刀:長さ76cm程度)」を返礼品として選ぶことができる。日本刀の姿、刃紋、銘を寄附者の希望に合わせて作刀する。「刃紋は10種類以上の古典的な紋様から選んでいただけます。ただ古典的というだけでは面白味がないので、その時その時の感性でデザインします」と山副さん。京丹後の風土、季節の彩りや、対話の中で生まれるイメージを反映し、「今を現した」ひとつだけの日本刀が生まれる。

 今までに彼らが作る日本刀を手にしたお客さんは、それを御守りとして捉えたり、ご子息へ代々受け継いでいきたいと話されたりするそうだ。個々にある特別な想いも作刀の中で尊重し表現することで、日本刀の「芸術性」だけでなく、作り手や受け手の「精神性」が吹き込まれた唯一無二の一振りとなる。「私たちが作る日本刀の姿や表現を、五感と心で大切にしていただける方に出会えたらと思います」と黒本さんは話す。



※銃砲刀剣類登録証のある日本刀を購入、所持することは、免許や資格等は不要。持ち主が変わる場合のみ、所有者変更届の提出が必要。






 






研師の黒本瑠美さん。およそ3週間かけて研磨し、日本刀の個性と美しさを最大限に引き出す。
研師の黒本瑠美さん。およそ3週間かけて研磨し、日本刀の個性と美しさを最大限に引き出す。





 日本刀の仕上げの刀剣研磨工程を見せて頂くため、丹後町の隣、弥栄町にある黒本さんの自宅へ移動した。そこでは黒本さんの奥様である瑠美さんが、研師として作業をしている。刀剣研磨の工程は、刀鍛冶が「鍛冶押し」という刃の形を決める研ぎの工程の後に行なうもので、日本刀完成の重要な役割を担う。刀の棟(むね)、鎬(しのぎ)、平地(ひらじ)、鋒(きっさき)などの各部位を、数十種の砥石を駆使して下地研ぎから仕上げ研ぎまで、およそ3週間研ぎ続ける。少しでもはみ出したり削りすぎたりすると、それまでの工程が台無しになってしまうため失敗が許されず、やり直しの効かない神経を使う作業だ。「根気のいる仕事ですが、刃を綺麗にするために磨き続けるこの仕事が好きです」と瑠美さんは微笑む。

 瑠美さんはもともと、歯科衛生士として働いていた経験があり、その後は漫画家やアクセサリー作家を目指すなど意外で多様な経歴がある。「仕事って、生活や人生の大きな部分を占めますよね。だから妥協せず、好きなことで、続けられることをしたかったんです。今思えば、色々な要素が研師という仕事に繋がっていました」と瑠美さんは振り返る。

 刀鍛冶から研磨まで、それぞれの役割を全うして日本玄承社の日本刀は完成する。






チョウジの花を現した刃紋「丁子乱れ」
チョウジの花を現した刃紋「丁子乱れ」





京丹後でしか作れない日本刀を残したい


 京丹後に拠点を置いてから、彼らは多くの京丹後の魅力に触れてきた。四季折々の美味しい食材や移ろう風景、気にかけて声をかけてくれる近所の方々やこの地にしかない異業種の人たち。予想していなかった程の面白さや出会いがある地域だと話す。

 現在、地元住民の見学やメディアの取材も多く、京丹後の地に日本刀の文化が広がろうとしている。この地で3人が描く日本玄承社の姿は、日本刀の文化の入り口となり、伝統をこの先に残していくこと。「今は、若い人が刀鍛冶を生業にするには非常に厳しいのが現状です。刀鍛冶という仕事を憧れで終わらせず、職業として選ぶ若手を増やすために、給料を渡しながら弟子として働いてもらうといったような環境も整えられるようになりたいですね。日本刀の文化を残していくために必要なことです」と黒本さん。

 日本玄承社の道のりはまだまだ始まったばかり。遠い昔に生まれた日本刀がそうであるように、これから日本玄承社で生まれていく日本刀にもこれから先、長い年月を経て人々の手を渡り、強く美しいままに残されていくことを願う。