特集

2023.03.30

海辺のちょうちん屋さん 小嶋庵

 江戸寛政年間(1789~1801年)、京都市にて創業の京提灯製造販売の小嶋商店は、当時より受け継ぐ独自の製法で200年以上に渡り京提灯を製造している。提灯の骨格となる竹を割る工程から、和紙を貼り、文字を描き仕上げるところまで、全てを手作業で行なう伝統と技術あるものづくりだ。歌舞伎で有名な「南座」の大提灯や歴史ある寺社や店舗の提灯をはじめとし、近年では商業施設や宿泊施設のインテリアや照明として使用される多様なデザインの提灯も手掛けている。現在は9代目社長の小嶋 護さんと、10代目の長男 俊さん、次男 諒さんの3名を柱とし、提灯づくりの工程を分担して営んでいる。

 その小嶋商店から、2021年の夏に京丹後市網野町へ移住してきたのは長男の小嶋 俊さんとそのご家族。度々訪れていた美しい八丁浜の近くに住みたいと長年思っていたとのこと。その願いを叶えるのと同時に、新しい挑戦をしていくべく、八丁浜からほど近い場所に京提灯工房「小嶋庵」を小嶋商店から暖簾分けする形でオープンさせた。

 「提灯づくりは今まで通り京都市内の小嶋商店との連携で行なう必要があったため、チャレンジングな決断でした。でも今は、それによって起きている変化が楽しみなんです」と語る俊さんにお話を伺った。






小嶋庵 代表提灯職人 小嶋 俊さん
小嶋庵 代表提灯職人 小嶋 俊さん





 





「このままではいけない」小嶋商店と俊さんの変化


 約15年前、俊さんが小嶋商店で提灯づくりをしていたとき、日々の仕事で疑問に感じることがあった。それは、当時の取引先は先代から長年続いている顧客ばかりで、時代と共に提灯の需要が減る中でも昔のままの価格設定。この先いつか運営が立ち行かなくなるのではないか、ということだった。

 「もともとの性格は、石橋を叩いて渡る慎重な人間なんです。20代前半までは自分で何かを作り上げたという実績もなかったですし、提灯づくりで目立ったこともありませんでした」と自身について語る俊さん。それでも、「自分も小嶋商店もこのままではいけない」と強く想い行動をし始めたのは、20歳の頃に現在の奥さんである宏美さんとの結婚を考えるようになったことがきっかけだった。

 それまで提灯づくりしかしていなかった俊さんだが、不慣れながらも新たな仕事を開拓するために提灯づくり以外の世界に活路を求めた。社長である父からは「職人は手を動かすものだ」という考え方を職人の在り方として伝えられていたので、最初は反対され意見がぶつかることも多かった。それでも、外に出ることで得られた新しい出会いや、そこからもらう多面的なアドバイス、見たことのない世界やニーズに希望を感じ提灯づくり以外の世界での活動(仕事)を継続すると、少しずつ新しい仕事を受けられるようになった。すると、以前より近くで見えるお客さんの喜ぶ顔や、自分たちの仕事に対する評価に、仕事場の雰囲気も良くなっていったという。

 「父や仲間は最初は疑心暗鬼でしたが、私の動きや入ってくる仕事を見て理解、協力してくれるようになりました」と当時を振り返る俊さん。その経験から、「新しい動きが次の未来をつくり、人を動かすんだ」と思うようになった。






俊さんの役割である、竹割の工程。乾燥させた竹を割って提灯の骨組みを作る。
俊さんの役割である、竹割の工程。乾燥させた竹を割って提灯の骨組みを作る。





「強度のある外側の皮だけを使用するため、内側の節は削いでいきます」
「強度のある外側の皮だけを使用するため、内側の節は削いでいきます」





竹に切れ目を入れて一振りすると、あっという間に均等に割れた。
竹に切れ目を入れて一振りすると、あっという間に均等に割れた。





 





京丹後への移住、挑戦の始まり


 そうして職人と営業活動を両立させ、新しい仕事を獲得したり、未経験な制作にも挑戦したりと、順調に仕事が回る環境となった小嶋商店は、それまでに比べて安定的に運営ができるようになっていた。「安定的になったのは本当に良いことでした。ただ、『チャレンジする楽しさ』っていうものが無くなっていきました。何か挑戦したいけど、何がしたいということも無い日々に悶々としていました」と俊さんは振り返る。

 そんな中、2020年には新型コロナウイルスの流行により、祭事が軒並み中止となり、それに伴い小嶋商店が主力としてきた祭事用提灯の製造がほとんどストップし、わずかな生産をこなす日々が続いた。どうにもできない日々の中で「時間があるし、京丹後へ行こうか」と思い立ち、リフレッシュのために訪れた。美しい海で子どもたちが遊ぶ姿を眺めながら、ふとひとつの考えが浮かんだ。「ここに移住してしまえば、また全部を新しいチャレンジに変えられるんじゃないか」ということ。

 思い立った俊さんは、すぐに職場の仲間に伝えた。案の定、「提灯づくりは分業でしているのに、京都市と京丹後市の間でどうやってやっていくの?」「京丹後側にも人手が必要になる」などと様々な疑問や不安の声が上がった。それでも、「新しい挑戦を自分の考えでしてみたい。京丹後でも職人を増やせるはず。絶対にまた小嶋商店にも良い風が吹いてくる」という俊さんの熱い想いは止まらず、そのまま物件を探し準備を進め、気がついたら移住していた。まさに"何もないところからのスタート"を切った。「家も工房も京丹後に構える。ここからどうやったら上手くいけるか。」不安よりも先への楽しみの気持ちが俊さんの中で高まっていた。






「ちびまる」に和紙を貼る工程は、移住後新たに加わったパートさんが担当。
「ちびまる」に和紙を貼る工程は、移住後新たに加わったパートさんが担当。





京丹後市ふるさと納税に出品の「ちびまる3点セット」手のひらサイズの提灯で、玄関などに飾るのがおすすめ。
京丹後市ふるさと納税に出品の「ちびまる3点セット」手のひらサイズの提灯で、玄関などに飾るのがおすすめ。





"海辺のちょうちん屋さん" 小嶋庵の誕生、地域とのつながり


 2021年10月、ついに京丹後に新工房をオープン。俊さんは自身の工房を「小嶋庵」と名づけ、玄関先には"海辺のちょうちん屋さん"と書いた大きな提灯を吊るした。「小嶋商店は昔ながらの伝統もあり、堅いイメージがついています。それに対して新しい小嶋庵は、もっとポップな雰囲気で、一般の方が京提灯に触れる入り口にしたいという想いから、このキャッチフレーズにしました」と俊さん。小嶋庵の中は広く、天井の高い工房だ。材料の竹や、大小さまざまなサイズの提灯の型などの道具が並ぶ。

 迎えてくれたのは、俊さん宏美さんと、近所に住む従業員の田中さん。田中さんは小嶋庵オープン当初から勤務し、現在では「ちびまる」の制作を通じて提灯づくりの技術を身につけている。「手を動かす仕事は楽しいです!自宅が工房から近いため子どもたちが学校帰りに工房に寄れることもありがたいですね。早くちびまるを1人で上手く作れるようになりたいです」と田中さん。真剣に提灯づくりに取り組む田中さんの姿を見て俊さんは「パートさんが何人か手伝いに来てくれていて、本当に助かってますよ!覚えるのも早くて皆さんすごいです。地域のことも色々と教えてくれますし、私たち家族にとってありがたい存在です」と話してくれた。

 移住して1年余り、地域の人や取引先、小嶋商店のメンバーに助けられ、なんとか提灯づくりを続けてこられたと俊さんは振り返る。「皆さんに協力して頂いている分、提灯づくりを通して何かの役に立ちたいんです」と微笑んだ。






宏美さん(左)と俊さん(右)。明るい掛け合いが場を和ませる。
宏美さん(左)と俊さん(右)。明るい掛け合いが場を和ませる。





一番の京丹後ファンだからこそ、ここで根付いていきたい


 実は、奥さんの宏美さんの実家が現在の小嶋庵からすぐ近くということもあり、以前から夏休みになれば八丁浜を訪れていた俊さん。「ずっと"網野ファン"ですよ!海は綺麗ですし、ご飯も美味しい。地域にあるかき氷屋さんや飲食店も全部昔から知ってて、大好きなんです!」と笑う。そんな大好きな地域に移住したからこそ、地域に根付いたものづくりにしていきたいという想いが強い。新しい仕事への挑戦とともに、小嶋庵での働き手の増加、子どもたちの伝統工芸への興味関心を育むきっかけになること、それこそが先代から受け継ぐ京提灯の文化を未来へ繋いでいくために必要なことだと俊さんは考える。「これからも予想しないことが起こると思いますけど、小嶋庵のメンバーや京丹後の人たちと助け合いながら挑戦を続けていきたいです」と俊さん。京丹後を訪れる際には、ぜひ小嶋庵を訪れてみてほしい。






和気あいあいとした小嶋庵のみなさん
和気あいあいとした小嶋庵のみなさん