京丹後市について

  •  京丹後市ふるさと納税特設サイトにお越しいただき、ありがとうございます。

     京丹後市は、平成16年4月に6つの町が一つになって誕生し、19年を迎えました。

     500㎢を超える広大な面積には、8㎞に及ぶロングビーチ、40haを誇るブナ林、500haを超える国営開発農地など豊かな環境を有し、国立公園、国定公園に指定されるとともにユネスコ世界ジオパークにも認められています。

     この恵まれた海・山・里において、日本一の生産量を誇る“丹後ちりめん”、ブランド価値の高い“間人ガニ”“丹後産コシヒカリ”“市内5蔵の地酒”など、数多くの資源や宝が生み出されています。

     また、高度な技術力を有する機械金属業や関連企業が多く立地し、「先取り・勤勉・実直」な京丹後人の気質に満ちています。「長寿世界一」「男性史上最長寿」のギネス記録に認定された木村次郎右衛門さん(故・116歳)に代表されるように、健康で長寿の方が多く、百寿率(10万人に100歳以上の方が占める割合)が全国平均の3.1倍と高いのも、このまちの特長です。

     さらには、古代、巨大な「丹後王国」があったといわれており、日本海側で最大級の古墳をはじめ、約6,000の遺跡が確認されています。海外との交易で栄えた繁栄の軌跡と歴史ロマンを今に伝え、伝説や伝承も連綿と語り継がれています。

  • 京丹後市長 中山 泰

1.京丹後は多彩な「食材の宝庫」。そして「医食(寿食)同源による百歳長寿の里」

 京丹後がある丹後半島は、ここから西に山陰が始まり、東に北陸が始まり、そして南に近畿が始まる、西日本地域の地理・地政上の起点です。それゆえ、京丹後は、地勢的、気候的に、山陰でもあり北陸でもあり近畿でもあるという、各地域の特性の断片が多彩に重なる自然環境的な豊かさを有する地域です。

 このため、植物の植生一つとっても、野生に自生している薬草の種類も200種類以上に及び、これが報告書となって漢方薬の宝庫・中国の薬都である安徽省・亳州市からとても注目いただき、今では薬草のご縁をきっかけに友好都市提携が交わされるほど、京丹後は「自然の薬草の宝庫」です。そして、多彩・多様な植生の流下・影響のもと、里海の環境も豊じょうで、京丹後は、山や里も海も、生き物や食を育む栄養の本当に豊かな地域であります。

 そして多分、丹後で育まれた多彩な食材の好影響もあって、京丹後の住民は、大変な百才長寿に恵まれています。百寿率は、202.51人(/10万人。令和2年現在)で、全国平均の約3倍を超え、男性長寿世界一のギネス記録保持者の故・木村次郎右衛門さんも生粋の京丹後人です。

 私たちは、いのちの寿福を豊かに養う丹後の大地と海の恵み・食材に、大いに自信と誇りを持っています。

2.京丹後は稲作発祥の神話を有する「瑞穂の国の原点」

 京丹後は、稲作・農業の起源や食材の薬効にまつわる神話を多く有しているのも特徴的です。

 伊勢神宮外宮の神様である豊受大神様は、雄略天皇により伊勢の地にお迎えされるまでは、主に丹後の地に鎮座なされていたとされ、京丹後市には、豊受大神様が天照大神様のために稲作を行い、これを奉じた「月輪田」「清水戸」が遺跡として残されています。稲作・農業発祥の地としての由来であり、いわば「瑞穂の国の原点」の地として厳粛に且つ誇らしく受け止めています。

 また、京丹後に伝わる全国的な伝説に「羽衣天女伝説」があり、日本の三大羽衣天女伝説の一つですが、この丹後伝説中の天女様は「万病に効くお酒づくり」が得意であられたと伝えられています。また、日本最古の「浦島太郎伝説」も丹後に残っていますが、この伝説は「不老長寿伝説」の断片を有する物語です。さらに、古代中国の秦の始皇帝の時代に方士徐福が「不老不死の仙薬」を求めて丹後半島に滞在し、その後、里人から仰慕されたと伝えられ産土神として今にお祀りされています。京丹後は、古来、食やいのちの寿に由縁をもつ尊い神話・伝説の宝庫です。

 本市の特設サイトには、このように、含蓄豊かな歴史ロマン、京丹後の大地と海の恵み・食材の魅力と、そして何より、その中で暮らす京丹後の住民の笑顔いっぱいの魅力が散りばめられています。

 本市は、このような特色を豊かに活かしながら、子供たちや若者はじめ市民の皆が夢や希望をもち、安心とワクワク感で胸を張って誇りを持てるまちづくり、笑顔あふれる懐かしい未来づくりに、広く市外の皆さんとも様々な形で交流を深めながら、市民の皆さんと力を合わせ、精一杯、笑顔いっぱいに取り組んでおります。

 ぜひ、ごゆっくりサイトを閲覧いただき、このような京丹後のまちづくりに応援を賜れましたら幸甚に存じます。